それからその年の十二月まで、そのボルゲビィ・ガアルの他には、ヨンセレッド、コペンハアゲン等の友人の家々に逗留しつつ、その質朴な、愛すべき生活を共にしてゐた。
丁度二年前の夏の末(一九〇二年)巴里にはじめて足を踏み入れて以來、詩人を襲つた恐ろしいかずかずの經驗が、彼の裡に「マルテの手記」の重要なるモチイフとして生れたのは恐らく羅馬で、その著想は詩人がかうしてスカンヂナヴィアに氣儘な、愉しい、しかし殆ど無爲に近い日を過して居つた間に、漸く熟していつたのではあるまいか。
或日、彼はボルゲビィ・ガアルで次のやうな詩を書いてゐる。