だが、ひよつとしたらこれはその不幸な若い女の死を哭し、その魂を鎭めるために近親の者がその女の心もちになつて代つて詠んだものかとも考へられる。
さうやつて、その死を哭し、魂を鎭めるためにはあくまでもその死者の心と一つになり切らずにはをられぬところに萬葉びとの萬葉びとらしいところがあつたのではないか。
それが伊勢物語の頃までくると、同樣に哀れな女の死に對する人々の態度もそんなには慟哭的でなく、同情的ではあるが、だんだん情緒的なものになつて來つつあるのが、この二つの例でもわかるのであります。
だが、ひよつとしたらこれはその不幸な若い女の死を哭し、その魂を鎭めるために近親の者がその女の心もちになつて代つて詠んだものかとも考へられる。
さうやつて、その死を哭し、魂を鎭めるためにはあくまでもその死者の心と一つになり切らずにはをられぬところに萬葉びとの萬葉びとらしいところがあつたのではないか。
それが伊勢物語の頃までくると、同樣に哀れな女の死に對する人々の態度もそんなには慟哭的でなく、同情的ではあるが、だんだん情緒的なものになつて來つつあるのが、この二つの例でもわかるのであります。