さうやつて、その死を哭し、魂を鎭めるためにはあくまでもその死者の心と一つになり切らずにはをられぬところに萬葉びとの萬葉びとらしいところがあつたのではないか。
それが伊勢物語の頃までくると、同樣に哀れな女の死に對する人々の態度もそんなには慟哭的でなく、同情的ではあるが、だんだん情緒的なものになつて來つつあるのが、この二つの例でもわかるのであります。
午前、僕はリルケの「ドゥイノ悲歌」の一節を讀んでをりました。
さうやつて、その死を哭し、魂を鎭めるためにはあくまでもその死者の心と一つになり切らずにはをられぬところに萬葉びとの萬葉びとらしいところがあつたのではないか。
それが伊勢物語の頃までくると、同樣に哀れな女の死に對する人々の態度もそんなには慟哭的でなく、同情的ではあるが、だんだん情緒的なものになつて來つつあるのが、この二つの例でもわかるのであります。
午前、僕はリルケの「ドゥイノ悲歌」の一節を讀んでをりました。