「あるかなきかの心地するかげろふの日記といふべし」とみづから記するときのひそやかな溜息すら、一種の浪漫的反語めいてわれわれに感ぜられずにはゐられないほど、不幸になればなるほどますます心のたけ高くなる、「かげろふの日記」を書いたやうな女でなければそれはどうしてもならなかつた。
しかしさういふ不幸な女を描きかけながら、一方、私はそれとほぼ同じ頃に生きてゐた、もう一人のほとんど可憐といつてもいいやうな女の書き殘した日記の節々を思ひ浮べるともなしに思ひ浮べ、前者の息づまるやうな苦しい心の世界からこちらの靜かな世界へ逃れてきては、しばらくそれに少年の頃から寄せてゐた何んといふこともない思慕を蘇らせてゐたりした事もあつた。
さういふ日の私にとつては、「更級日記」を書いたいかにも女のなかの女らしい、しかし決して世間竝みに爲合せではなかつたその淋しさうな作者すらも何んとなく爲合せに見え、本當にかはいさうなのは矢つ張り「かげろふ」の作者であるやうな氣がした。