いま私の讀みとつたやうにこの「更級日記」を讀むのは、私の詩人としての勝手な讀み方で、或は原文を非常に歪めてゐるやうな懼れもないとはかぎらぬ。
もしさうとすれば、それは私の不心得であらう。
しかし、このやうな心の經過は私が早い日からさういふ風に讀み慣はして、いまでは私の裡にしつかりと根を下ろしてゐるこの女の心像と切り離せないものになつてしまつてゐるので、もはや、私としては如何んともなし難いことなのである。
いま私の讀みとつたやうにこの「更級日記」を讀むのは、私の詩人としての勝手な讀み方で、或は原文を非常に歪めてゐるやうな懼れもないとはかぎらぬ。
もしさうとすれば、それは私の不心得であらう。
しかし、このやうな心の經過は私が早い日からさういふ風に讀み慣はして、いまでは私の裡にしつかりと根を下ろしてゐるこの女の心像と切り離せないものになつてしまつてゐるので、もはや、私としては如何んともなし難いことなのである。