私は一册の小さな書物を携へてゐたが、その書物によると、多くの古歌に詠ぜられた平安朝の頃の姨捨山といふのは、實は私のさまよひ歩いてゐる低い山ではなく、その山のもう一つ向う側に半ば隱れながら山頂だけ見せてゐる現在の冠着山だつたのださうである。
さうでなくてはならない。
現在姨捨の驛のあるこのあたりがさうなのでは餘りにも感じが小さ過ぎる。
私は一册の小さな書物を携へてゐたが、その書物によると、多くの古歌に詠ぜられた平安朝の頃の姨捨山といふのは、實は私のさまよひ歩いてゐる低い山ではなく、その山のもう一つ向う側に半ば隱れながら山頂だけ見せてゐる現在の冠着山だつたのださうである。
さうでなくてはならない。
現在姨捨の驛のあるこのあたりがさうなのでは餘りにも感じが小さ過ぎる。