これは歌といふものの性質上、わぎとさういふ原始的な素朴な死の觀念を借りて、山に葬られた自分の妻を、恰も彼女自身が秋山の黄葉のあまりの美しさに憑かれたやうにして自ら分け入つてしまつたきり道に迷つてもう再びと歸つて來ないやうに自分も信じてをるがごとくに歎いて、以つて死者に對する一篇のレクヰエムとしたのかも知れない。
萬葉の頃の悼亡の歌には、直接に自分の歎きを痛切に吐露したものよりも、さうやつて死者の葬られた山を對象とし、或は空しくなつた家の日ごとに荒廢してゆく有樣や、故人の遺物である木や花や鳥などを對象としたものが多いやうである。
肉體が死んでも魂は分離して亡びないことを信じてゐた古人は、深い山の中をさすらつてゐる死者の魂を鎭めるためにその山そのものの美しさを讚へ、又、死後彼等の居處や木々を拂はずに其處に漂つてゐる魂の落ちつくまで荒れるがままにさせ、ときをりその荒廢した有樣を手にとるやうにさながらその死者の魂に向つていふやうにいふ、――そんな事を私は萬葉の挽歌作者をよみながら考へる。