誰でもさうするやうに、秋篠寺、唐招提寺、藥師寺、法隆寺などを𢌞つて歩いたが、古い佛たちを拜する傍ら、私は古い大和の村々や野や民家や、ことに里近くの山々を見ることを樂しんだ。
萬葉びとがこれらの村や山々に彼等の謂はば前宗教的(pre-religious)な生活を托しながら小さな喜びや悲しみを歌ひ續けてゐた間に、一方では既に、今日もなほ殘つてゐるかういふ大きな寺が建立され、大きな佛たちが製作せられてゐたのだといふことは不思議な心もちがしてならなかつた。
それほどその二つのもの――無智にちかい土俗的な信仰の中に隱れてゐる萬葉びとと、佛を製作しつつあつた本當の信仰に目覺めた人たちとの間には互に共通しあつたものが殆ど無かつたやうだからである。