數年前、全集「別册」編纂のため、それらの手帖を整理してゐるうちにその箇處に出合ひ、その私自身の書いたものまでも寫して置くべきかどうかにかなり迷つたことがある。
そんな箇處の近くには、又、芥川さんが當時思ひつかれるそばから私に話して下さつたコントのやうなもの、――たとへば八百屋の小僧が西洋人の落して行つたパイプを拾つて煙草の代りに玉蜀黍の毛をそれにつめて吸つてゐると云つたやうな話の心覺えのやうなものまでが見つけられたのだつた。
數日前、千ヶ瀧にゐる友人が私のところに來ての話に、淺間山麓一帶がその氣候とか植物の分布状態から見るとスカンヂナヴィア地方に酷似してゐるといふ話が出て、それから話がスカンヂナヴィアの文學のことに移つて行つたが、私はそのときふと、芥川さんもその北方の文學をかなり愛讀せられてゐたらしいこと――いままで私があんまり氣にもとめてゐなかつたそんな一面に、はじめて氣がついた。