ジィドの所謂「作品における神の部分」が後者にはより多くあるらしい。
スタンダアルは自分の計算の結果に相當の見通しを以つて「煙草をすぱすぱやりながら」仕事をしたかのように思はれる。
ところが、ドストエフスキイは全然その計算がどんな結果になるか分らずに「しどろもどろになつて」仕事をしたごとくである。
ジィドの所謂「作品における神の部分」が後者にはより多くあるらしい。
スタンダアルは自分の計算の結果に相當の見通しを以つて「煙草をすぱすぱやりながら」仕事をしたかのように思はれる。
ところが、ドストエフスキイは全然その計算がどんな結果になるか分らずに「しどろもどろになつて」仕事をしたごとくである。