ホフマンスタアルの「文集」を讀み續ける。
嘗つてビアンキイ女史がこの詩人のことをリルケと竝べて論じてゐた本を讀んだ折、既に物故したこの詩人のパセティックな、眞の姿を知つて、それ以來何となく心を惹かれてゐたが、最近その文集の佛譯を手に入れることが出來て、數日前から讀み續けてゐるのである。
これまで讀了した數篇――シェクスピアを論じて劇の本質は性格描寫や筋などには無くて、その雰圍氣にあるといふ説を立てたもの、或はゲエテの「タッソオ」に就いて語つて從來閑却されがちであつた公女レオノオレの重要牲を指摘したもの、或は又、シュテファン・ゲオルゲの詩を取り上げて詩の本質を明らかにしつつ、十數年後の純粹詩の發生をいち早くも豫見してゐたやうな「詩に就いての對話」――などで見ても、ホフマンスタアルが過去の大詩人の崇高な作品を自分の裡に見事に生かし得てゐたばかりでなく、將來に於ける詩の動きにも敏感な見透しをもつてゐたことは、まことに敬服の外はない。