これまで讀了した數篇――シェクスピアを論じて劇の本質は性格描寫や筋などには無くて、その雰圍氣にあるといふ説を立てたもの、或はゲエテの「タッソオ」に就いて語つて從來閑却されがちであつた公女レオノオレの重要牲を指摘したもの、或は又、シュテファン・ゲオルゲの詩を取り上げて詩の本質を明らかにしつつ、十數年後の純粹詩の發生をいち早くも豫見してゐたやうな「詩に就いての對話」――などで見ても、ホフマンスタアルが過去の大詩人の崇高な作品を自分の裡に見事に生かし得てゐたばかりでなく、將來に於ける詩の動きにも敏感な見透しをもつてゐたことは、まことに敬服の外はない。
けふ讀んだのは「Lord Chandos の手紙」といふ一篇である。
この西暦一六〇三年八月二十二日の日付のある古い手紙は、フィリップ・ロオド・チャンドスと云ふ英吉利の文人がその友人フランシス・ベエコンに宛てて、一切の文學的活動を放擲する辯疏のために書いた手紙である由が註せられてゐる。