例へば、如露だとか、畑に棄てられた鋤だとか、日向に寢てゐる犬だとか、みすぼらしい墓地だとか、不具者だとか、小さな農家だとかが、自分の靈感の場になれるのです。
習慣になつてもうその上を何氣なしに目が滑つてしまふやうな、それらの事物やそのほかそれに似た數々の事物が、突然、思ひもよらないやうな瞬間に、それを表現するためには、一切の言葉があまりにも貧弱に見えるほどな、莊嚴な、感動すべき跡形を自分に刻みつけて行くのです。
そして目の前にない事物の明瞭な像までが、全く不可解な方法でもつて、思ひがけず甘美に、自分をば神々しい感情で縁まで一ぱいに充たしてしまふことさへあるのです。