――勿論、眞の小説といふものが人間を創造することにあるといふ事は否應なしに認めてゐたが、私はさういふ眞の小説をあまり嚴格に考へ過ぎてゐるせゐか、たうていこれまでの私にはそんなものは、それに近いものすら書けさうもないと考へたので、あべこべに、少しもさういふ小説らしいところのない小説ばかり書いてゐたのだ。
たとへ二流三流の小説にせよ、さういふものでの方が現在の自分の手腕を思ふがままに揮へ、自分を小さいなりに完全に表現できると考へたがためだ。
そこで私は、これまで、自分の作品の中に人物を置く場合には、風景畫のなかに小さな點景人物を置くほどの用意しか持ち合はせなかつた――とまで言はなくとも、それはいつも「私」(語り手)の心のなかに獨得な屈折をして入つてきた幻像に過ぎなかつたのである。