さういふ見方をして、兩者を讀み比べてゐると、私はモオリアックの思ひがけない進歩の跡を發見したりする。
その中で彼が人物描寫について述べてゐる一節が特に面白く思はれるから、それを此處に引用してお目にかける。
「一つの小説を創作してゐる間、私は何度氣づいたことか、ずつと前から主人公として考へてゐた人物、そいつの發展をその最後のデテエルまで決めて置いた人物が、プログラム通りにうまく形づくられるときは、それは彼が死んでゐるからであり、――彼が從順であるのは、それが死骸に過ぎないからであるといふ事に。
さういふ見方をして、兩者を讀み比べてゐると、私はモオリアックの思ひがけない進歩の跡を發見したりする。
その中で彼が人物描寫について述べてゐる一節が特に面白く思はれるから、それを此處に引用してお目にかける。
「一つの小説を創作してゐる間、私は何度氣づいたことか、ずつと前から主人公として考へてゐた人物、そいつの發展をその最後のデテエルまで決めて置いた人物が、プログラム通りにうまく形づくられるときは、それは彼が死んでゐるからであり、――彼が從順であるのは、それが死骸に過ぎないからであるといふ事に。