その瞬間に、數年前の、このホテルへ着いた最初の晩、疲れ切つた彼のために靴をぬがせてくれようとして、その上に身を屈めてゐた祖母のやさしい、氣づかはしげな顏が、その腕のなかへ身を投じたいやうな衝動を彼が感じたくらゐ、生き生きと完全に蘇つたのだ。
そしてそれと同時に彼は初めてその祖母が死んだといふ事に、死んだのが誰であつたかといふ事に、氣づくのだ。
そして彼はその祖母が死んでから一年許りと云ふもの、彼女のことも、彼女に對する自分のこまやかな愛情すらも、すつかり忘却してゐたこと(プルウストはそれを「心の間歇」と呼んでゐる)を認めて驚く。