僕はゆうべ、この山の宿で、鞄の中に入れてきたリルケの「鎭魂曲」の英譯本をとり出して、そのうちの「或女友達のために」の一篇を讀んだのである。
これは二百七十行からもある長篇である。
この春、その原文を辭書と首引きで讀んだときなどは、僕の例の氣まぐれな讀み方では、讀み了へるのに二三日もかかり、それでもまだ半分以上も解らないところを殘したのであるが、――いま、比較的讀みやすい英譯で讀み直してみても、相變らず解つたやうな解らないやうなところが多い。
僕はゆうべ、この山の宿で、鞄の中に入れてきたリルケの「鎭魂曲」の英譯本をとり出して、そのうちの「或女友達のために」の一篇を讀んだのである。
これは二百七十行からもある長篇である。
この春、その原文を辭書と首引きで讀んだときなどは、僕の例の氣まぐれな讀み方では、讀み了へるのに二三日もかかり、それでもまだ半分以上も解らないところを殘したのであるが、――いま、比較的讀みやすい英譯で讀み直してみても、相變らず解つたやうな解らないやうなところが多い。