さういふモオリアックの初期のものなどから、最近はもつと本格的なカトリック文學にずんずん惹きつけられてゐたやうですが、(さういふカトリック的要素は二つのうちでは「癩者への接吻」の方にずつと多かつたのぢやないかしら、)しまひにはとうとうモオリアックの近作「イエス傳」をすこし我武者羅な位に素早く(それで身體までこはしたやうだが)譯してしまつた。
そしてそれが最後の仕事になつた。
いまだに「テレエズ・デケエルウ」の不安の方を好んでゐる僕は、相も變らず人生のこちら側に立つて、カトリックといつたやうなものはすべてずつと向うに見てゐるものです。