そのうちに私はバンジャマン・クレミユの「二十世紀」といふ本の中の批評に出遇つた。
それにプルウストの小説の構成を論じた一節があるが、それが何と云ふ理由もなしにいつの間にか、私の懷抱しはじめてゐた「無構成の構成」説を打破して呉れた。
他日私がこの小説の全體を讀んだ上でも果してその説に無條件で同意し得られるかどうかは分らないが、今假りにその説を信ずるとして、ざつと此處に書き止めて置かう。
そのうちに私はバンジャマン・クレミユの「二十世紀」といふ本の中の批評に出遇つた。
それにプルウストの小説の構成を論じた一節があるが、それが何と云ふ理由もなしにいつの間にか、私の懷抱しはじめてゐた「無構成の構成」説を打破して呉れた。
他日私がこの小説の全體を讀んだ上でも果してその説に無條件で同意し得られるかどうかは分らないが、今假りにその説を信ずるとして、ざつと此處に書き止めて置かう。