堀辰雄
私はいま、こんな胸の病氣で、部屋の中に閉ぢ籠つたきり、殆ど外出することなんかないと言つていい位であるが、――いまから數週間前、まだ私の病氣もこんなに重くならなかつた頃のことだ、晝間のうちはそれでも我慢して寢床の中にもぐり込んでゐたが、夕方になるとなんだか耐らない氣持になつて、私は無理に起き上り、出來るだけ氣輕な散歩者のやうな服裝をして、何のあてもなしに街の中へ出かけて行く習慣があつたものだ。
そして私は家を出ると、すぐ前の、今年になつて漸く出來上つた隅田公園のなかを通り拔けながら、或時は枕橋を渡つて、河岸に沿うたままビイル會社の横を拔けて吾妻橋の方へ出たり、また或時はそれと反對の方向に、新築中の牛島神社の裏を拔けて、言問橋の方へ出たりするのであつた。