それも従來のやうに支那の古小説などに求めるまでもなく、もつとわれわれの身近い血縁のなかにそれを見出し得るのではないか。
それも既に折口さんが暗示せられてゐるやうに、遠い神代の、長い苦しい征伐の旅をつづけられた若い王子が、その果ては白鳥となつて天翔けられたといふ、あの悲壯な物語が、次第に人間化せられた物語となりながらこんなところまで姿を變へて來た、――と考へることが出來たなら、大へん愉快なのではないでせうか。
そして折口さんの考へられるやうに、そのやうな神に近かつた若い王子の旅の物語の、はたの目から見ると大へんおいたはしい、さういふ漂泊の悲しみのやうなもののみが次第に人々に強調せられて、それを一層現世的にするために、その漂泊の原因に女性を結びつけて考へるやうになつてくる。