(この物語では、光源氏の須磨への配流が一つの大きな主題をなしてゐるとも考へられませう。
その配流の原因となつた若き日のもののまぎれが遂に結末に近い「若菜」の卷にいたつていつか大きなものとなつて彼を苦しめ出すのです……)そして甚だわれわれを悲しませることは、それを最後のそして最高の完成として、さういふ優れた人間の典型は以後の文學から全く跡を絶つてしまつたのです。
僕はまだ淺學のせゐか、或は性格上、鎌倉以後の文學にはどうも同情がもてませぬせゐか、どうもさういふ本來の意味でトラヂックな人物は鎌倉以後の文學には到底見出し得ないのではないかと思ふのです。