彼は其處にもつと長く滯在して當時彼の心を捉へてゐた仕事(Duineser Elegien)をしたかつたであらうが、この地方の氣候のはげしい變化のために彼の健康はすつかり害せられ、翌年三月には空しく西班牙を立ち去らなければならなかつた。
しかしその地方、――殊にトレドは、ドゥイノ及びヴェニスと共に、晩年のリルケの胸奧にもつとも深く鳴りひびいた三つの大きな諧調ともなつたのである。
此のトレドがリルケの生涯にはじめて現はれたのは、おそらく一九〇八年の秋ロダンに宛てた次ぎの手紙(丁度「マルテの手記」に筆を下ろさうとしてゐた時分である)で、それもトレドの畫家エル・グレコの鬼氣を帶びた筆を通してであつた。