しかしその地方、――殊にトレドは、ドゥイノ及びヴェニスと共に、晩年のリルケの胸奧にもつとも深く鳴りひびいた三つの大きな諧調ともなつたのである。
此のトレドがリルケの生涯にはじめて現はれたのは、おそらく一九〇八年の秋ロダンに宛てた次ぎの手紙(丁度「マルテの手記」に筆を下ろさうとしてゐた時分である)で、それもトレドの畫家エル・グレコの鬼氣を帶びた筆を通してであつた。
さういふ假初の出會をも遂に空しくしなかつた點など、いかにもリルケらしいと言へるのであるまいか。
しかしその地方、――殊にトレドは、ドゥイノ及びヴェニスと共に、晩年のリルケの胸奧にもつとも深く鳴りひびいた三つの大きな諧調ともなつたのである。
此のトレドがリルケの生涯にはじめて現はれたのは、おそらく一九〇八年の秋ロダンに宛てた次ぎの手紙(丁度「マルテの手記」に筆を下ろさうとしてゐた時分である)で、それもトレドの畫家エル・グレコの鬼氣を帶びた筆を通してであつた。
さういふ假初の出會をも遂に空しくしなかつた點など、いかにもリルケらしいと言へるのであるまいか。