が、昔とはまつたく異つた環境の下で、ふと思ひ出された或る匂とか、或る味とかが、思ひがけずわれわれに過去を喚び起すときは、われわれはさういふ過去が、われわれの有意的記憶が下手な畫家のやうに眞實ならざる色彩をもつて描いた過去とは、如何に相違してゐるかを理解する。
諸君はすでにこの最初の卷「スワン家の方」において、話者がこんな話をするのを御覽になる筈だ、――「私」(この私ではない)が突然、マドレエヌの一片の落してあるお茶の一口の味の中に、忘れてゐた多くの年月、庭園、人々を思ひ出すといふ話を。
勿論、彼はそれを有意的に思ひ出すことも出來ただらうが、その場合にはそれ獨得の色彩もなければ魅力もないのだ。