諸君はすでにこの最初の卷「スワン家の方」において、話者がこんな話をするのを御覽になる筈だ、――「私」(この私ではない)が突然、マドレエヌの一片の落してあるお茶の一口の味の中に、忘れてゐた多くの年月、庭園、人々を思ひ出すといふ話を。
勿論、彼はそれを有意的に思ひ出すことも出來ただらうが、その場合にはそれ獨得の色彩もなければ魅力もないのだ。
そして作者が彼をして云はしめ得たのは、薄い紙片を茶碗のなかに浸すとすぐにそれが水中に擴がり、形をとり、花に變ずる、あの日本の小さな遊戲でのやうに、さまざまな人物、庭園のすべての花、ヴィヴォンヌ河の睡蓮、村の善良な人々や彼等の小さな家々、教會、コンブレエとその近郊、それらすべてのものが、はつきりした形をとりながら、その茶碗の中から町となり庭となつて現はれたといふことだ。