そして作者が彼をして云はしめ得たのは、薄い紙片を茶碗のなかに浸すとすぐにそれが水中に擴がり、形をとり、花に變ずる、あの日本の小さな遊戲でのやうに、さまざまな人物、庭園のすべての花、ヴィヴォンヌ河の睡蓮、村の善良な人々や彼等の小さな家々、教會、コンブレエとその近郊、それらすべてのものが、はつきりした形をとりながら、その茶碗の中から町となり庭となつて現はれたといふことだ。
ベルグソンがかういふ「記憶」の問題をどう取扱つてゐるかと云ふことを知れば一層興味がありさうに思へるが、僕は殘念ながらこの問題に今は立入れない。
しかし、ベルグソンと云へば、僕は、數年前澄江堂の藏書を整理してゐるうちに、ふとベルグソンの「形而上學序説」の英譯本の餘白に見出した數行の書入れを思ひ出す。