何故なら彼は三册の著書を殘して行つたからだ。
一つの詩集「火のやうな頬」と、二つの小説「憑かれて」と「ドルジェル伯爵の舞踏會」と。
そしてその詩集は人々をして彼のことを「二十世紀のロンサアル」と呼ばしめるに充分であつたし、十六と十八の間に書いた「憑かれて」はコクトオによつてコンスタンの「アドルフ」に比せられ、十八と二十の間に書いた「ドルジェル伯爵の舞踏會」は「一九三五年を豫想してスタンダアルによつて書かれた『プランセス・ド・クレエヴ』だ」と評されてゐるほどである。
何故なら彼は三册の著書を殘して行つたからだ。
一つの詩集「火のやうな頬」と、二つの小説「憑かれて」と「ドルジェル伯爵の舞踏會」と。
そしてその詩集は人々をして彼のことを「二十世紀のロンサアル」と呼ばしめるに充分であつたし、十六と十八の間に書いた「憑かれて」はコクトオによつてコンスタンの「アドルフ」に比せられ、十八と二十の間に書いた「ドルジェル伯爵の舞踏會」は「一九三五年を豫想してスタンダアルによつて書かれた『プランセス・ド・クレエヴ』だ」と評されてゐるほどである。