さうしてテレェズの夫のやうな、自分に滿足し切つて、いくぢのない平和を貪つてゐる人間の裡に、はげしい不安を呼び醒まさずにはおかないやうな恐ろしい義務、テレェズをしてあんな慘めな行爲に驅りやつたもの、――さういつたやうなものが同時にまた、この「テレェズ・デケルウ」を書いたモオリアックのカトリックとしての唯一の口實なのではないか。
そんな氣がする。
少くともいまの僕にはそれだけしか解らん。
さうしてテレェズの夫のやうな、自分に滿足し切つて、いくぢのない平和を貪つてゐる人間の裡に、はげしい不安を呼び醒まさずにはおかないやうな恐ろしい義務、テレェズをしてあんな慘めな行爲に驅りやつたもの、――さういつたやうなものが同時にまた、この「テレェズ・デケルウ」を書いたモオリアックのカトリックとしての唯一の口實なのではないか。
そんな氣がする。
少くともいまの僕にはそれだけしか解らん。