勿論、学としてはそういう努力が大切でありましょうが、これを歌として味わう上からは、そういう羽買山ではなしに、何処かにありそうな、大きな鳥の翼のような形をした山をただぼんやりと浮かべて見ているだけの方がいいような気がするのです。
僕は数年まえ信濃の山のなかでさまざまな人の死を悲しみながら、リルケの「Requiem」をはじめて手にして、ああ詩というものはこういうものだったのかとしみじみと覚ったことがありました。
――そのときからまた二三年立ち、或る日万葉集に読みふけっているうちに一聯の挽歌に出逢い、ああ此処にもこういうものがあったのかとおもいながら、なんだかじっとしていられないような気もちがし出しました。