そしてどういうものか、よく見なれた晩年の母の俤よりも、その写真の中の見なれない若い母の俤の方が、私にはずっと懐しい。
私はこの頃では、子供のときその写真の人がどうしても私の母だと信じられなかったのは、その人を自分の母と信ずるにはその人があまりに美し過ぎたからではなかったかと解している。
その人がただ美しいと云うばかりでなしに、その容姿に何処ということなく妙になまめいた媚態のあったのを子供心に私は感づいていて、その人を自分の母だと思うことが何んとなく気恥しかったのであろう。
そしてどういうものか、よく見なれた晩年の母の俤よりも、その写真の中の見なれない若い母の俤の方が、私にはずっと懐しい。
私はこの頃では、子供のときその写真の人がどうしても私の母だと信じられなかったのは、その人を自分の母と信ずるにはその人があまりに美し過ぎたからではなかったかと解している。
その人がただ美しいと云うばかりでなしに、その容姿に何処ということなく妙になまめいた媚態のあったのを子供心に私は感づいていて、その人を自分の母だと思うことが何んとなく気恥しかったのであろう。