私のごく幼い頃の、父の姿も、母の姿もあんなによく見慣れていた癖に、少しもはっきりと思い出せない。
しかし、そのころ皆で一しょに撮った何枚かの写真の中の彼等の姿だけは、ときおりしかそれを取り出して見なかったせいか、いまでも私の裡にくっきりと――それだけ一層実在の人物から遠ざかりながら――蘇ってくるのである。
震災で何もかも焼いてしまったそれらの写真には、大概、椅子に腰かけた母と、その椅子の背にちょっと手をかけながら立っている父との間に、小さな私はいつも口をきっと結んで、ちょこんと立っている。
私のごく幼い頃の、父の姿も、母の姿もあんなによく見慣れていた癖に、少しもはっきりと思い出せない。
しかし、そのころ皆で一しょに撮った何枚かの写真の中の彼等の姿だけは、ときおりしかそれを取り出して見なかったせいか、いまでも私の裡にくっきりと――それだけ一層実在の人物から遠ざかりながら――蘇ってくるのである。
震災で何もかも焼いてしまったそれらの写真には、大概、椅子に腰かけた母と、その椅子の背にちょっと手をかけながら立っている父との間に、小さな私はいつも口をきっと結んで、ちょこんと立っている。