「劇とは何事かが到來するものであり、能とは何びとかが到來するものである」といふ彼らしい莊重な定義をいきなり冒頭に置いてから、クロオデルは、先づ、橋懸りと本舞臺とからなる舞臺の説明から始め、それから能の音樂――囃子と地謠と――を紹介する。
それらの囃子の中で、あの哀調に充ちた笛を「過ぎゆく時間の我々の耳に對するときをりの轉調、演者の背後での時間と瞬間との對話」であると言つてゐるなどは面白い。
又、地謠――これは、ギリシヤ式の合唱(〔Le Choe&ur〕)と云ふ言葉を使つてゐるが――は筋には關與せずに、單にそれに非人格的な註釋をつけ加へるものだと紹介してゐる。