英吉利では古くよりマシウ・アアノルドの譯があり、わが國でも平田禿木が明治二十九年に早くもその飜譯を出されてゐる。
ユウジェニイの日記は一八三四年から書きはじめられ、その一册を書きあげるごとに、それを巴里の弟に送つてゐた。
そしてその死後もしはらく同じやうに亡き弟にあてて書きつづけてゐたが、それが全部で十四册(そのうち一册紛失す)ある。
英吉利では古くよりマシウ・アアノルドの譯があり、わが國でも平田禿木が明治二十九年に早くもその飜譯を出されてゐる。
ユウジェニイの日記は一八三四年から書きはじめられ、その一册を書きあげるごとに、それを巴里の弟に送つてゐた。
そしてその死後もしはらく同じやうに亡き弟にあてて書きつづけてゐたが、それが全部で十四册(そのうち一册紛失す)ある。