小さな落葉松林を背負いながら、夕日なんぞに赫いている木の十字架が、町の方からその水車の道へはいりかけると、すぐ、五六軒の、ごみごみした、薄汚ない民家の間から見えてくるのも、いかにも村の教会らしく、その感じもいいのである。
私はその隣村(追分)で二年ばかり続けて、一人っきりで冬を過したことがあるが、ときどきどうにも為様のないような気もちになると、よく雪なんぞのなかを汽車に乗って、軽井沢まで来た。
軽井沢も冬じゅう人気のないことは同様だが、それでも、いつも二三人は外人の患者のいるらしいサナトリウムのあたりまで来ると、何となく人気が漂っていて、万物蕭条とした中に暖炉の烟らしいものの立ち昇っているのなんぞを遠くから見ただけでも、何か心のなぐさまるのを感じた。