そのとき、やっぱり嘱託の一人にOという新聞聯合の理事だか何かをしている威勢のいい男がいて、談論風発、吉川英治と佐藤紅緑が日本で偉い文学者だとか、そういう大先生であるが、会議の席でこういう映画を作ったらよかろうと言って意見をのべた。
その映画というのは老いたる農夫のゴツゴツ節くれた手だとかツギハギの着物だとか、父から子へ子から孫へ伝えられる忍苦と耐乏の魂の象徴を綴り合せ映せという、なぜなら日本文化は農村文化でなければならず、農村文化から都会文化に移ったところに日本の堕落があり、今日の悲劇があるからだ、というのであった。
この話は会議の席では大いに反響をよんだもので、専務(事実上の社長)などは大感服、僕をかえりみて、君あれを脚本にしないかなどと言われて、私は御辞退申上げるのに苦労したものであるが、この話とてもこの場かぎりの戦時中の一場の悪夢ではないだろう。