そこで失われたメモを復活せしめるために土地の然るべき文化人に私の忘れた寺の名、タクミの名作の所在の大雄寺(ダイオージとよむ)の仁王というのを訊いても、なかなか分らない。
それは彼らが物を知らないのではなく、つまり土地の人々は歴史的にヒダのタクミの作品に無関心なのである。
彼らはむしろ円空という他国からきた坊主の彫りの腕をほめるのである。
そこで失われたメモを復活せしめるために土地の然るべき文化人に私の忘れた寺の名、タクミの名作の所在の大雄寺(ダイオージとよむ)の仁王というのを訊いても、なかなか分らない。
それは彼らが物を知らないのではなく、つまり土地の人々は歴史的にヒダのタクミの作品に無関心なのである。
彼らはむしろ円空という他国からきた坊主の彫りの腕をほめるのである。