この時以来宇野さんは謡曲のファンになり、頻りに観能にでかけ、僕が文学として読んではいても舞台として殆んど見たことがないので冷やかされる始末になったが、女の人は誰しも老醜を怖れること男の比にはならないのであろうけれども、宇野さんが物語をきいたときの驚きの深さは僕の頭を離れぬことのひとつである。
宇野さんもかなりの年齢になられているから、鬼女の懊悩が実感として激しかったという意味もあろうけれども、失われた青春にこんなにハッキリした或いはこんなに必死な愛情を持ち得るということで、僕は却って女の人が羨しいような気がしたのだ。
この羨しさは、毛頭僕の思いあがった気持からではないのである。