実際、信念というものは、死することによって初めて生きることが出来るような、常に死と結ぶ直線の上を貫いていて、これも亦ひとつの淪落であり、青春そのものに外ならないと言えるであろう。
けれども、盲目的な信念というものは、それが如何ほど激しく生と死を一貫して貫いても、さまで立派だと言えないし、却って、そのヒステリイ的な過剰な情熱に濁りを感じ、不快を覚えるものである。
僕は天草四郎という日本に於ける空前の少年選手が大好きで、この少年の大きな野心とその見事な構成に就て、もう三年越し小説に書こうと努めている。