無きに如かざるの精神にとっては、簡素なる茶室も日光の東照宮も、共に同一の「有」の所産であり、詮ずれば同じ穴の狢なのである。
この精神から眺むれば、桂離宮が単純、高尚であり、東照宮が俗悪だという区別はない。
どちらも共に饒舌であり、「精神の貴族」の永遠の観賞には堪えられぬ普請なのである。
無きに如かざるの精神にとっては、簡素なる茶室も日光の東照宮も、共に同一の「有」の所産であり、詮ずれば同じ穴の狢なのである。
この精神から眺むれば、桂離宮が単純、高尚であり、東照宮が俗悪だという区別はない。
どちらも共に饒舌であり、「精神の貴族」の永遠の観賞には堪えられぬ普請なのである。