作風がくい違っているから、本当の敗北意識というものがないのだ。
そこへ行くと、丹後弓彦と王仁はどちらも腕力型の才筆で、人間を扱う角度や発想の角度が同型であるから、こういう場合にはぬきさしならぬ勝敗感があるもので、王仁の野性奔放な才筆に圧倒されがちな丹後には、痛烈な嫉妬があったに相違ない。
作家の嫉妬は他人の名声流行などには案外淡泊で、もっと本質的なぬきさしならぬ才能に絡みついた問題だから、苦しいものだ。
作風がくい違っているから、本当の敗北意識というものがないのだ。
そこへ行くと、丹後弓彦と王仁はどちらも腕力型の才筆で、人間を扱う角度や発想の角度が同型であるから、こういう場合にはぬきさしならぬ勝敗感があるもので、王仁の野性奔放な才筆に圧倒されがちな丹後には、痛烈な嫉妬があったに相違ない。
作家の嫉妬は他人の名声流行などには案外淡泊で、もっと本質的なぬきさしならぬ才能に絡みついた問題だから、苦しいものだ。