谷崎、志賀の文章は、空虚な名文というものにすぎず、たゞ書き表わす対象にだけ主体のある私の文章にくらべて、ニセモノにすぎないものだ。
けれども彼らは素質ある人々で、あの時代に生れたからあゝなっただけのこと、今の時代に青年であったら、私と同じ出発をはじめ、私などのおよびがたい新作品を書いているかも知れぬ。
木村対升田の場合も同じこと、木村はあの時代に育って、あゝなった。
谷崎、志賀の文章は、空虚な名文というものにすぎず、たゞ書き表わす対象にだけ主体のある私の文章にくらべて、ニセモノにすぎないものだ。
けれども彼らは素質ある人々で、あの時代に生れたからあゝなっただけのこと、今の時代に青年であったら、私と同じ出発をはじめ、私などのおよびがたい新作品を書いているかも知れぬ。
木村対升田の場合も同じこと、木村はあの時代に育って、あゝなった。