オセイボだ年始だと無意味なものを取ったり贈ったり、香典だの香典がえしだのと、すべて人間の真情に即さゞる形式が生活の規矩をなしており、生活が真情に即していないのだから、言葉が真情に即さなくなる。
つまり物自体を的確に表現することが生活の主要なことではなくて、儀礼的に言葉をあやつることに主たる工夫があるから、空虚な内容を敬語かなんかで取り繕う必要も生れてくるわけであろう。
オ役人サマ、と云う言葉には、その言葉に即した生活が現に存しているのだし、親分然と「オ若イ人」だの、オ若イ、オ若イ、などという、みんな言葉に即した生活が実在して、その生活が実在する限り、その言葉にはノッピキナラヌものがあり、イノチがあるではないか。