神の愛、キリシトの愛、けれども愛は不義につらなるニュアンスが強いのだから、この訳語に困惑したので、苦心のあげくに発明したのが、大切という言葉だ。
すなわち「神のご大切」「キリシトのご大切」と称し、余は汝を愛す、というのを、余は汝を大切に思う、と訳したのである。
実際、今日われわれの日常の慣用においても、愛とか恋は何となく板につかない言葉の一つで、僕はあなたを愛します、などというと、舞台の上でウワの空にしゃべっているような、われわれの生活の地盤に密着しない空々しさが感じられる。
神の愛、キリシトの愛、けれども愛は不義につらなるニュアンスが強いのだから、この訳語に困惑したので、苦心のあげくに発明したのが、大切という言葉だ。
すなわち「神のご大切」「キリシトのご大切」と称し、余は汝を愛す、というのを、余は汝を大切に思う、と訳したのである。
実際、今日われわれの日常の慣用においても、愛とか恋は何となく板につかない言葉の一つで、僕はあなたを愛します、などというと、舞台の上でウワの空にしゃべっているような、われわれの生活の地盤に密着しない空々しさが感じられる。