それについても、また、私は確信をもっていいうる言葉をもたない。
ただ、常識、いわゆる醇風良俗なるものは真理でもなく正義でもないということで、醇風良俗によって悪徳とせられること必ずしも悪徳ではなく、醇風良俗によって罰せられるよりも、自我みずからによって罰せられることを怖るべきだ、ということだけはいい得るだろう。
しかし、人生は由来、あんまり円満多幸なものではない。
それについても、また、私は確信をもっていいうる言葉をもたない。
ただ、常識、いわゆる醇風良俗なるものは真理でもなく正義でもないということで、醇風良俗によって悪徳とせられること必ずしも悪徳ではなく、醇風良俗によって罰せられるよりも、自我みずからによって罰せられることを怖るべきだ、ということだけはいい得るだろう。
しかし、人生は由来、あんまり円満多幸なものではない。