新らたなるものに対するジャーナリズムの過大評価は見なれてゐることだから、私は必ずしもこの評判を鵜のみにはしないが、伝統の否定、将棋の場合では定跡の否定、升田七段その人を別に、漠然たる時代的な翹望が動きだしてゐるやうな気がする。
織田作之助の二流文学論や可能性の文学などにも、彼の本質的な文学理論と同時に、この時代的な翹望との関聯が理論を支へる一つの情熱となつてゐるやうに思はれる。
織田は坂田八段の「銀が泣いてる」に就て述べてゐるが、私は、最初の一手に端歩をついたといふ衒気の方が面白い。
新らたなるものに対するジャーナリズムの過大評価は見なれてゐることだから、私は必ずしもこの評判を鵜のみにはしないが、伝統の否定、将棋の場合では定跡の否定、升田七段その人を別に、漠然たる時代的な翹望が動きだしてゐるやうな気がする。
織田作之助の二流文学論や可能性の文学などにも、彼の本質的な文学理論と同時に、この時代的な翹望との関聯が理論を支へる一つの情熱となつてゐるやうに思はれる。
織田は坂田八段の「銀が泣いてる」に就て述べてゐるが、私は、最初の一手に端歩をついたといふ衒気の方が面白い。