織田が革のジャンパーを着て、額に毛をたらして、人前で腕をまくりあげてヒロポンの注射をする、客席の灯を消して一人スポットライトの中で二流文学を論ずる、これを称して人々はハッタリと称するけれども、かういふことをハッタリの一語で片づけて小さなカラの中に自ら正義深刻めかさうとする日本的生活の在り方、その卑小さが私はむしろ侘びしく、哀れ、悲しむべき俗物的潔癖性であると思ふが如何。
むしろかゝる生活上の精力的な、発散的な型によつて、芸術自体に於ては逆に沈潜的な結晶を深めうる可能性すらあるではないか。
生活力の幅の広さ、発散の大きさ、それは又文学自体のスケールをひろげる基本的なものではないか。