文学は人性を探すもの、より良き人生をもとめるものなのだから、可能性の中に文学上の人生が展開して行くのは当然なことで、単なる過去の複写の如きは作文であるにすぎず、文学は常に未来のためのものであり、未来に向けて定着せられた作家の目、生き方の構へが、過去にレンズを合せたときに、始めて過去が文学的に再生せられる意味をもつにすぎない。
大阪の性格は気質的に商人で、文学的には戯作者の型がおのづから育つべきところであるから、日本文学の誠実ぶつた贋物の道徳性、無思想性に、大阪の地盤から戯作者的な反逆が行はれることは当然であつたらう。
然し、大阪的な反逆といふのは、まことに尤もなやうで、然し、実際は意味をなさない。