織田は志賀直哉の「お殺し」といふ言葉が変だといふが、お殺しが変ではなく、使ひ方がヘタなのだらう。
お殺しなど、愛嬌があつて面白く、私は変だと思はないし、だいたい作中人物の言葉などといふものは、言葉自体にイノチがあるのではなく、それがそれを使用する人物の性格生活と結びついて動きだす人間像の一つの歯車としてイノチも綾も美も色気も籠つてゐる。
独立した言葉だけの美などといふのは、実は作文の領域で、文学とは関係のないことなのである。
織田は志賀直哉の「お殺し」といふ言葉が変だといふが、お殺しが変ではなく、使ひ方がヘタなのだらう。
お殺しなど、愛嬌があつて面白く、私は変だと思はないし、だいたい作中人物の言葉などといふものは、言葉自体にイノチがあるのではなく、それがそれを使用する人物の性格生活と結びついて動きだす人間像の一つの歯車としてイノチも綾も美も色気も籠つてゐる。
独立した言葉だけの美などといふのは、実は作文の領域で、文学とは関係のないことなのである。