私は友人縁者から疎開をすゝめられ、家を提供するといふ親切な人も二三あつたが、それを断つて危険の多い東京の、おまけに工場地帯にがんばつてゐた。
私は戦争を「見物」したかつたのだ。
死んで馬鹿者と云はれても良かつたので、それは私の最後のゼイタクで、いのちの危険を代償に世紀の壮観を見物させて貰ふつもりだつた。
私は友人縁者から疎開をすゝめられ、家を提供するといふ親切な人も二三あつたが、それを断つて危険の多い東京の、おまけに工場地帯にがんばつてゐた。
私は戦争を「見物」したかつたのだ。
死んで馬鹿者と云はれても良かつたので、それは私の最後のゼイタクで、いのちの危険を代償に世紀の壮観を見物させて貰ふつもりだつた。